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interview
大阪府左官工業組合相談役 阿食更一郎氏  【平成22年7月29日掲載】

左官業界の生きる道

技術磨く場づくりを

伝統工法 建物のどこかに


 専門工事業の中でも、日本古来の伝統技法が息づく左官。和風建築においては不可欠となる要素を含みながら、鏝絵などに代表される芸術的な側面も併せ持っている。しかしながら、合理性を追求する現代建築では、それら技術の見せ場が少なくなる一方だ。これら現状に対して大阪府左官工業組合の相談役である阿食更一郎氏〔(株)亀井組代表取締役〕は「技能伝承のためにも技術を磨く場づくりが大事」と訴える。職人として自らの体験を若手に伝えたいとの思いを抱く阿食氏に、左官業界の課題や今後のあり方を語ってもらった。      (聞き手・中山貴雄)

 「私がこの道に入ったのは昭和24年で、16歳の時でした。当時は、戦後の混乱が未だ残っておりましたが復興ブームの中にあり、進駐軍の兵舎建設などで結構仕事はありました。当時の業界は戦争から幅員してきた職人さんが中心で40代の人達が多かった」

 20代・30代の働き盛りの年代は兵役にとられ左官に限らず成り手が少なく、従って兄弟子がおらず直に親方クラスの職人から一から十まで教わった。 その中では資材運びから土の練り方や水加減まで「基本を徹底的に仕込まれました。今から思うと大変にありがたかったですね」と振り返る。

 戦後の復興期はまた、アメリカからの最新機械や技術が導入され、日本の建設業界の技術革新の時期でもあった。 「何しろ掘削工事や造成工事でもブルドーザーなどで、それこそあっと言う間に完成させる。左官の仕事でも手でこねていたものを自動式のミキサーで行い、 運搬でもベルトコンベアでやってしまう」と当時の驚きを隠さない。

 しかし「これが伝統的な左官技法が廃れてしまう要因にもなった」と指摘する一方で、「左官職人のレベルが下がったとは思わない」とも。 むしろ需要がなくなったことのほうが大きな問題と見る。

 「もともと日本家屋は、冬暖かく夏は涼しかった。土の壁には温度調整を果たす役目があり、現在ではエアコンにより部屋が密閉され、 そうなると壁に土を塗るより内装材や塗装材で遮断する方が良いので、これは仕方のないことです」

 ゼネコンや住宅メーカーが昔ながらの和風建築を手掛けることがない現状を上げながら「左官技法ほど日本の風土に合致したものはないが、 その技術を生かし評価する場がない。現在の左官の仕事は下地を塗るだけで、上からクロスを貼ればその仕事は隠れてしまう。 一般の人には全く見えないままに終わってしまう」

■昔ながらの良いものを残すためにはどうすれば。

 「左官の仕事が一般の目に触れるようにならなとだめだ」とし「継続する方策を考えなければならない時期にきている」とする。かつて理事長として組合に携わってきた経験から「いくら組合で塗壁が素晴らしいといっても外部に評価されないとだめ。外に向けた情報発信、PRをこれまで業界がしてこなかった部分はある。多くの人に知ってもらうことの重要性を、我々自身が認識する必要があり、そのためにはあらゆる機会を捉えて訴えていくことだ。一般の目に触れることで評価もされ、評価されることで職人は自信がつき、そういった機会をつくることが若い職人にチャンスを与えることにもなる」

■良い職人とは。

 「かつての腕の良い職人というのは引っ張りだこで、元請のみならず施主自ら名指しでの仕事があった。もちろん賃金もそれなりのものとなるが、それを承知の上で仕事が来た。良いものつくるにはお金がかかる。現在のように入札でやると安く上がるが良いものは出来ていない。我々が見れば一目で解る。自分が腕を上げ評価を得れば、若い人達が弟子に入るという相乗効果があった」

 月給制で就業規則で縛られる現在では、そういった制度は過去のものとなり、また原材料も速乾性のものが開発されるなど効率性を求めるものが多くなってきた。

 「自然乾燥を待ち、何度も何度も塗り重ねて艶を出したりしていましたが、便利性を追求するあまり若い人が仕事を肌で感じることがなくなってしまった。 勉強する機会を失ってしまった」

 また現在の内装仕上げやタイルの下地塗りでは高度な技術は要求されない。かつて壁塗りでは、土に糊を入れて何重にも塗っていくが、それも壁の特性や天候、 気温に合わせて職人が糊の混ぜ加減を調整していたが「良い職人はそれを全て勘でやっていた」とする。

 「勘どころというやつで、勘の良い職人なら図面を見て現場を回っただけで、だいたいの工程が予測できる。部位の仕様や現場の人数から 次の工程の段取りがすぐに解る。直感的に問題点が解る。経験で培われたものだが、現在では勘を磨くことができず、そういった職人が現在はいなくなった」

■そういった職人がいなくなったのはいつ頃からです。

 「大阪万博以降だろう。それまでは我々でも現場所長に平気で自分の意見を述べ、誤りは指摘できた。しかしそういった業者がだんだんと敬遠されだすと我々の側もおとなしくなり、仕事を取ってくる者が重宝されだした。また、トップが現場に出なくなってきた」と現状を嘆く。

 今後について阿食氏は、左官の良さを一般ユーザーに対してどう理解を深めていくかだとする。そのためには組合、団体として取り組んでいくことだと言う。

 「例えば建物の一部に伝統工法での仕上げを採用することで評価してもらう。そういった場さえあれば、我々の技術を若い者の伝えることができ、 若い者にも励みになる。目標があれば人間は努力する。本物をつくろうとする時、職人は損得抜きでやることもあります。昔はそれがステータスとなっていた部分もあった。 職人は難しい仕事、やりがいのある仕事を任されれば寝食を忘れても没頭するという気概が絶対にある」

 鏝絵の傑作と評価の高い関西大学の鏝絵でも、製作当初は、職人は尻込みしていたと言い「こちらが背中を押してやり、評価してやればきっちりとできた。 そういう場を与えてやれば職人は伸びる。今後そういう場をつくることが組合、団体としての仕事だろう」

 また以前から元請にマンション工事の玄関ホールなど一部で左官仕上げをやらせてほしいと提案していたとする。 「原料代さえ頂ければあとはこちらが負担しますと。市民ホールや体育館などでも、人の目に多く触れるところでやらせてほしい、とにかく本物を見てほしいと」

 さらに日左連のコンテストで上位に入賞した職人の仕事には名前を記すとかの工夫があってもいいのではないかと提案する。 「施主にとっても自慢になり、職人にとっても励みなる」。優れた技能の持ち主が下地仕事しかやれない現状を打開するためにもあらゆる工夫が必要とする阿食氏は 「腕のいい職人は業界のみならず、元請や発注者にとっても宝です」と言い切る。

 近年では、左官仕上げの建物は健康にも良いとされ、そういった考えや教育も年々進んできている中、 「職人一人ひとりが左官の持つそういったメカニズムをエンドユーザーにきっちりと説明できるようになるまでの自助努力が必要だろう」とする。

 「とにかく現物を見てもらうことが一番。見ればよくわかるはずです。そうして左官の価値を高める。左官の本当の良さをいかに知ってもらうか、そのための仕掛けが必要で、現場のどこかに自費でもいいから左官仕上げの部分を設けること、それと腕の良い職人の名前を出すことを真剣に考えてもらいたい」

(文責・渡辺真也)

 阿食更一郎(あじき・こういちろう)昭和30年亀井組入社、同47年5月代表取締役、日本左官業組合連合会副会長、大阪府左官工業組合理事長(平成5年〜14年)等を歴任。島根県出身。76歳。


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