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泉北ニュータウン再生 府市等連携協議会会長 田村恒一堺市副市長  【平成23年5月30日掲載】

大阪発ニュータウン再生モデルめざして

アグレッシブな取り組み

まず泉ヶ丘駅前地域活性化


暮らしを支える生活基盤の「住宅」と、住民が働き・学び・住まうの場である「まち」は、その形勢上において互いに作用するなど密接につながっている。大阪府では昨年、住宅まちづくり政策の転換を図り、新たな取り組みの方向性を打ち出すとともに、密集市街地整備や再開発事業等で都市基盤整備を実施する一方、高齢化社会の到来を控え、ニュータウンの再生にも取り組んでいる。特に泉北ニュータウンでは、再生モデルとして全国への発信を目指し、大阪府と堺市等による「泉北ニュータウン再生府市等連携協議会」が設立され、各種の取り組みが進められている。協議会の会長を務める田村恒一堺市副市長に、今後の取り組みを聞いた。

■泉北ニュータウンは千里と並び、我が国のニュータウン開発の先駆けとなっておりますが、その誕生までの経緯は。

田村副市長

都市は生き物。人口が増え、産業構造が変化する中、大都市への人口集中が顕著になったのが高度成長期で、そこでまず問題になったのが住宅です。これに伴い道路や下水道などのインフラの未整備による都市問題が昭和三十年代後半あたりから出てきました。大阪も西日本各地から人が集り出し、基盤整備のできていない場所に劣悪な住宅が建ち並ぶ、いわゆるアーバンスプロールが問題となってきました。

■無秩序的な市街地形成ですね。

田村副市長

この時期、大阪では団地建設が始まりました。現在の新金岡団地が最も早く建設され、そこでいろんな勉強を重ね、新住宅市街地開発法が制定され、そこから誕生したのが千里ニュータウンであり泉北ニュータウンです。千里ではその後、万博が開かれ、泉北地域ではニュータウン開発と合わせて臨海部を埋立造成して堺泉北工業地帯を造り、道路では十大放射三環状線を整備、鉄道も千里では北大阪急行、泉北では泉北高速鉄道が建設され、住宅整備と合わせていろんなインフラ整備が一斉に行われ、計画的な市街地が出来ていきました。

■なるほど。

田村副市長

モデルとなったのはイギリスロンドン周辺で形成されたニュータウンで、そこでは既に歩車分離の考え方が導入されていました。これを千里ニュータウンで採り入れ、さらに検討を深めたのが泉北ニュータウンでした。泉北はもともと起伏のある地形で歩車分離がしやすく、道路や公園等の公共施設を十分に確保した立派な市街地ができました。このためバブル期には千里、泉北とも土地が高騰しました。ただイギリスと比べ、就業地がニュータウンの中になかったことが違いました、これは住宅問題への対応が第一義的な課題でしたから仕方のない部分でもありました。

■住宅供給が最優先だった。

田村副市長

また泉北では公的賃貸住宅の比率が高く、大阪府や府住宅供給公社、当時の日本住宅公団の住宅がほぼ半数近く占め、残りは民間の持ち家でした。家族が増えるにしたがい広い住宅が必要になり、子どもが独立すればまた小さな住宅でいいと、民間住宅なら家族構成に合わせて転居なりが可能ですが、公的賃貸住宅の場合、そういった対応がしにくく、家族が増えると特に若い人達が転出するケースが多く、このため他地域と比べ高齢化が目立ってきました。

■ニュータウンがオールドタウン化してきた。

田村副市長

建物もまちも建設後40年以上経過したことで老朽化が進み更新の時期を迎えています。建設当時は最先端であった近隣住区理論により最先端のまちづくりを実施したものが、高齢者が増えると厳しいまちになった。歩車分離された歩道も起伏の多さのためかえって不便なものになってきました。特に近隣住区理論の中心となった近隣センターが衰退し、商業が成り立たなくなってきた。そうなると車を持たない高齢者にとっては、ますます不便なものとなってきた。全国のニュータウンでも同様の問題を抱えていますが、泉北でも顕著になっており、これの解決に取り組むことが重要となり、今回の協議会設立につながったものです。

■千里と泉北との違いは。

田村副市長

千里は国土軸上にあり、泉北はそれに乗っていないことが最大の違いです。千里は名神高速道路や御堂筋に繋がる幹線道路があり、鉄道も新幹線や都心部と直結している。泉北にはそういった特性はありませんが、逆に言えば泉北での再生が成功すれば、これは大都市を中心に全国的なモデルケースとなり得るもので、だからこそ成功させたいとの思いはあります。その辺りの思いは大阪府でも同じであり、今回府市連携しての取り組みとなりました。知事の重点施策であり、市長にとっても同じです。

■再生協議会の役割は。

田村副市長

問題はいろいろと複雑で、多方面にわたっておりますが、本気で取り組むことが日本のためにもなるだろうとの思いがあります。まちづくり、都市計画を発意し決めていくのは市町村の責務であり、権限でもありますので、地元市民の総意でまちづくりを進めるとの観点から協議会の会長就任となりました。協議会では、「これは良い」となったことは直ちに実行していこうとのアグレッシブな姿勢で取り組みを進めております。

■昨年には泉ヶ丘駅前の活性化ビジョンが打ち出されました。

田村副市長

泉北ニュータウンの拠点となる場所が泉ヶ丘で玄関口にあたります。和泉市ともつらなってはおりますが、まずは堺市域から取り組むこととし、その中では泉ヶ丘が中心となります。もともとニュータウンでは公有地が多く、その活用などを考えたものが昨年度に策定された泉ヶ丘駅前活性化ビジョンです。これと併行して検討していたのが公的賃貸住宅のあり方で、今年度はこの扱いをどうするかがテーマとなりますね。

田村恒一(たむら・つねかず)昭和42年4月大阪府採用、平成4年4月鳳土木事務所長、同7年5月土木部都市整備局総合計画課長、同10年4月副理事、同11年5月土木部技監、同13年4月土木部長、同15年3月大阪府退職、阪神高速道路公団理事、同17年10月常務取締役、同19年7月大阪府土地開発公社理事長、同20年6月関西高速鉄道(株)常勤監査役を経て、同21年12月から現職に。東京大学工学部卒。67歳。


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