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大阪府立大学大学院 橋爪紳也教授  【平成30年01月04日掲載】

大阪万博 構想から誘致まで

近未来のモデルを呈示

見たことのないものを形に


 2025年の国際博覧会誘致を目指し、大阪府・大阪市では、経済産業省等とともに、国を挙げて誘致活動を展開している。博覧会は、大阪港沖合の人工島・夢洲を会場にいのち輝く未来社会のデザイン≠テーマに計画され、今年11月には誘致の成否が決まる。この博覧会について、「誰もが見たことのない博覧会にしたい」と語る大阪府立大学大学院教授の橋爪紳也氏。大阪府・市の特別顧問でもある橋爪氏は、万博の基本構想立ち上げ段階から係わり、万博開催を「国際都市大阪」を実現する上で、IRも含めた将来の大阪の姿を議論するべき契機と捉える。その橋爪氏に、万博開催の意義と自身の思いについて聞いた。

■橋爪先生と万博との係わりから。

 2015年の年始、大阪府の担当から、万博の構想を検討する体制の組み方について相談を受けたことに始まります。府の特別顧問の立場で、検討する手順を検討しました。要はゼロベースから係わっています。専門家を集めて基本構想を検討する懇話会を立ち上げ、座長として検討を開始しました。
 懇話会では、会場として可能性のある候補地をピックアップし、それぞれに精査しながら基本的な考え方をまとめました。私の中では、アジアで初めて開催された1970年の万博で「人類の進歩と調和」を主題に掲げた大阪が、2025年にいかに強いメッセージを世界に向けて伝えていくかが重要だと考えていました。70年万博の経験と先進性を、次世代につなぐことの意義を議論の机上に載せました。
 会場候補地を精査している中、当時、開催していたミラノ万博日本館の大阪デーに参画しました。松井知事には、この機会を利用してパリの事務局や関係者に挨拶に出向いていただくようお願いをしました。そこで好感触を得たことから、大阪府としても前向きに動き始めました。

■なるほど。

 その間も、愛知万博の関係者からいろんな話を伺いました。国際イベントを開催する場合、オリンピックがIOCとJOC等の民間機関が主催するもので、開催地は都市が立候補する。対して万博の場合には、国際条約に基づき国家が主催、批准している各国が出展するかたちなります。今回は経済産業省が所管する国家事業というわけです。地元が主唱しながら、国の動きを起こす必要があります。
 愛知万博では、立候補する数年前から地元財界が動いて機運を高めていました。今回は、知事のリーダーシップの下、懇話会を立ち上げて基本的な姿を描き、最終的に候補地としたのが夢洲です。夢洲は、既にロジステックとして使用されている部分があり、カジノを含む統合型IRの誘致が想定される土地でもあることから、万博会場とこの3つの整合性を図りながら検討してきました。その過程で、うめきた2期で計画されているライフサイエンスを発展的に実践する場としようという構想も打ち出しました。
 その一方で、基本構想府案をもとに、経産省の委員会が立ち上がりました。テーマも「いのち輝く未来社会のデザイン」となりました。私も専門家として参加し、特に会場の基本構想立案は、これまでにない博覧会となるように力を入れたところです。会場を「リビングラボ」と位置付け、入場者3000万人に3000万通りの体験を提供、合わせて最新テクノロジーで世界人口80億人とつながる計画としています。

前回と意識変えて

■誘致に向けた機運も盛り上がってきた。

 当初に比べ、大阪では盛り上がってきてはいますね。でも全国で盛り上がるように、もっと具体的なプランを打ち出す必要があります。会場整備や交通アクセス等のインフラだけでなく、いろんなプロジェクトが2025年を目途に前倒しし、旧い制度やシステム等も更新する。前回の万博時代のストックを全て更新するぐらいの発想が必要です。2025年以後には、80年代や90年代の施設等も更新時期を迎えるわけで、次の世代に引き継ぐ上でも必要です。
 現在の20代は寿命百年と言われており、50代以上とでは老後のライフスタイルが全く変わってくるはずです。近未来のモデルを呈示するべく、我々がチャレンジしていこうとの想いがあります万博では、新しいテクノロジーを前提として考えることから、気持ちが未来に向かっていきます。ですから、かつての博覧会を追認するような形ではなく、気持ちや意識を未来に向けることで、次世代型都市を予感させるもの、見たことのないものを形にすることが必要です。世界中に、大阪が存在感を持ってアピールしなければならない。

■他の要素も万博を契機に整備する必要がある。

 例えば万博には観光振興という側面もありますね。もちろん観光業だけが大阪の基幹産業になるわけにはいかない。インバウンドの効果があったとしても、ヨーロッパ諸国では年5000万人や6000万人の都市も既にあるわけで、日本がやっと追いついたということです。
 ただ、グローバルスタンダードから見て、魅力的な観光都市となることが重要でしょう。質の高い観光都市となることが、新たな産業を誘発することが重要です。新産業が興ることで雇用が生まれ、住宅が増え、投資も増えることでオフィスビルの更新も進むなど経済も循環していく。
 今の東京がまさにそうですが、大阪では東京と同じクオリティを持ったビルの賃料が半額程度、マンションも同様です。実際の経済力を高めながら、さらに内外の投資が入るように切り替えないといけない。当面、万博の誘致は「目標」ですが、誘致を果たした暁には、万博開催が大阪が再興するうえでの「手段」とする発想が不可欠です。

■誘致への手応えは。

 立ち上げから係わった専門家として、まずはこれほどの短期間で国家プロジェクトとして気運を熟していただいたことへ関係者の努力に感謝したい。同様にIRは、私が2005年から本格的に研究調査を開始し、最初に大阪誘致を提言しました。それから推進法成立が見える段階までに来るのに10年以上かかっている。シンガポールでは、2005年に計画を発表して2010年にはソフトオープンを果たし、その間、アメリカの各都市でも新しいIRが誕生し、また計画されている。日本の場合、構想から決定までに時間が掛かりすぎることが多く、それを考えれば、万博誘致の意思決定が極めて早くできたことが大きかったですね。
 ここに至るまでには、東京がオリンピック招致に成功したから大阪は万博でとか、万博の役割は終わった等とするネガティブな意見も多かった。それらの意見は、21世紀になって万博のあり方が従来からの考えからシフトしたことも分かっていない人の考えです。昔の記憶で語るのではなく、今回の万博誘致は、未来を見据えたものであるということを理解していただきたいですね。

「国際都市大阪」への契機

“100歳越え”社会をデザイン

■ところで今、何故万博なのか。

 70年万博は私が小学4年生で、全てのパビリオンを巡りスタンプ等を集めておりました。当時、実家は塗装業で万博工事も手掛けており、普段は無口な父親が「あのパビリオンは自分が塗装した」と誇らしげに話していた記憶が強く残っています。
 会場は近未来都市さながらの様子で、私達の世代は科学技術の発達にワクワクする一方で、世界にはいろんな国があることを身近に触れました。様々な文化や芸術があり、フランスパンを初めて食べたことやアメリカとソ連の宇宙開発展示など、会場に行くたびに新たな発見と驚きがありました。私は会場で「将来は博覧会に関わるような仕事がしたい」と思うようになりました。
 その想いから大学院時代から博覧会にとどまらず、展示空間やディスプレイの研究を続けております。私の仕事の根幹にあるのは、小学4年生の万博での経験と驚きです。その後、スペインのサラゴサ万博では日本政府の展示アドバイザー、上海万博では大阪出展のプロデューサーと万博そのものに係わりを持つようになり、さらに万博全体の構想に係わりたいとの思いが一層強くなりました。これらの背景には、私の師匠で70年万博でお祭り広場を手掛けた上田篤先生や川崎清先生等が身近におられたことや、父親が工事に携わっていたことも影響しています。

■それほど印象が強かった。

 日本の国が70年万博を契機として建設業界だけでなく、新たなビジネスを興したり、技術的にもブレイクスルーしたり、個々人も含めてあの国家事業に係わったことが大事でした。大阪そのものも活性化した。かつてご指導いただいた梅棹忠夫先生は、「海外のホテル客室に東京や京都と並んで千里の市外局番が表示されていた」と仰っていました。
 つまり大阪、千里が国際化し、世界から注目されていた時期があったわけです。私としては、この状況を大阪で再現したい。大阪を国際化し、新たな産業を興すために我々のマインドをリセットする必要がある。国家事業である万国博覧会は、その契機になるはずです。
 かつての基幹産業である製造業が拠点を大阪から移し、流通のあり方も変化しました。主要企業の本社機能が相次いで東京に移転する中、国際観光などしか話題にならない状況です。大阪の将来についてどの産業分野を伸ばしていくのかを議論し、未来のまちの姿を描く必要があります。大阪を変えていく契機となるのが国際観光の振興であると私は四半世紀にわたって主張し、そのためにIRを実現すべきだと言い続けてきました。25年ほど前に、都市観光の基幹産業化を主張した際、またIRや万博の提案時には、経済人の多くの方が消極的であったことを記憶しています。

■そうでしたね。

 ベイエリアの一角に国際観光拠点を形成するだけでなく、その波及効果によって、大阪、関西全体がどう変わっていくのかを示していかなければならない。私がアドバイザーとなって、経産省のほうで万博会場の構想をとりまとめました。そこでは従来の博覧会とは違った、世界にアピールする日本的な空間のあり方として、大屋根を架けいくつかのボイドで構成するといった、誰も見たことのないような会場をつくろうと進めてきました。
 従来の博覧会は、中心にシンボルがあるものが多かった。今回は、健康寿命が伸び、誰もが百歳を越えて生きて行けるような社会をデザインする必要があります。同時にそれを支える新テクノロジーのあり方、情報通信やロボット等の様々な技術がそれを支えるわけですが、そのような時代における未来都市のモデルを示す必要がある。要は、博覧会場そのものが未来都市のプロトタイプとなります。それらを魅力的に具象化するために離散型の、絶えず変化するダイナミックな都市モデルとして計画することを求めました。

貴重な人材が育つ

■万博そのもののあり方も進化する。

 繰り返しになりますが、私としては大阪をもう一度国際都市としてアピールしたい。シンガポールや上海、ドバイなど経済面で成長しているアジアの諸都市、産業都市から再生したバーミンガム、住みやすさを訴求するメルボルンやシドニーなど、いずれも都市の個性をたずねると「国際都市」という点に尽きると答えます。多文化共生として世界から才能が集まってきている。魅力ある都市は基本的に住みやすく、世界に開かれて、多くの人達がそこにあるチャンスを求めてやってくる。実際、ドバイでは、国民は2割から3割しか居住しておらず、大半は海外から仕事できている人達です。
 かつての大阪でも、日本中から仕事を求めて人が集まり、人口が増加しました。70年万博では世界中から人や企業が集まってきた。今では、少子高齢化や人口減少によりマインドが縮小する中で、USJやインバウンドによる観光に頼る論調が大きい。しかし大阪は、今でも200万人を越える人口を有し、背後には1000万人の都市圏も控えている。これだけの集積を持つ都市が観光だけで成り立つわけがない。誇りを持ち新しい産業や技術開発が生まれることで投資も集まり、それにより都市が持続的に成長していくことになる。
 そのためには、これまでの都市開発手法を改め、切り替えていかなければならない。都心を再生しながら、次代を担う都市機能をどんどん入れていく必要がある。その都市機能の一つがIRであり、契機となるのが未来都市の姿を示す万博会場です。
 では、万博の後に何が残るのかという質問をしばしば受けます。私は展示会場等の建物ばかりではなく、一つにはそこで経験したことで、新たなアイデア等や世界とのつながりを感じた人達、特に若い世代がインスパイアされることで、大阪を拠点に活躍する人材が生まれれば、それが最大のレガシーになるだろうと思っています。ハードも必要ですが、イベントは人を育てる機会であり、大阪が国際都市として世界に注目されるチャンスでもあります。だからこその万博であり、ぜひとも誘致したいと思っています。

■今後も実現に向けご尽力下さい。ありがとうございました。

 
 
 橋爪紳也(はしづめ・しんや)
京都大学工学部建築学科卒、同大大学院工学研究科修士課程修了(建築学専攻)、大阪大学大学院工学研究科博士課程修了(環境工学専攻)、大阪府立大学大学院経済学研究科教授、同大観光産業戦略研究所長、大阪市立大学都市研究プラザ客員教授、葛エ爪総合研究所代表。日本観光研究学会賞、日本建築学会賞など受賞歴、著作多数。大阪市出身。57歳。


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